「資本論」読書会 |
- 01: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 22:57
- 「資本論」(一節づつ、レ〆めを切っていく。)
参加者募集。
出版社は問わず
- 02: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 22:58
- 第1章第一節
商品の2つの要因
1.資本制社会では富の基本的形態は商品である
2.商品は使用価値である(商品の第一の性格)
・人間の何らかの欲望を満たす外的対象(自分とは別個に存在するもの)
・ある一つのものの有用性は、それを使用価値にする。→使用価値は、それを使用、
または消費することによって実現される。
・使用価値は、富の社会的、歴史的形態に関わりなく、富の素材的内容をなす。
いかなる社会、時代においても、人間にとっての富とは自らの欲望を満たす
何らかの使用価値を持った物である。
- 03: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 22:58
- 3.商品は交換価値である(商品の第二の性格)
・商品は常に他の別の商品(資本主義の下では貨幣と)交換されるために
生産される。
・ある商品は他の種類の商品と一定の交換割合で交換される。この交換割合
が商品の持つ(に内在する)交換価値である。→交換価値は絶えず変動する
- 04: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 22:58
- 4.商品は価値(価値を持ったもの、価値物)である。
・ではなぜ異なった使用価値を持つ商品が交換されるのか?→一般にある異なった2つのものが
等置されているとすれば、それは両者に共通な何らかの属性があるからである。
・使用価値が異なることは、交換成立の絶対条件→使用価値は捨象されなければならない。
・商品対から使用価値を捨象すれば、ただ労働生産物としての属性だけが残る。
それは一切の労働の具体的形態を取り除いた労働、抽象的人間労働としての性格である
・このような人間労働の凝固物、対象化されたものとして、商品は価値物となる。
→商品に共通な社会的実体は抽象的人間労働、人間労働一般である。
以上
- 05: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 22:59
- ちなみに漏れのは大月版です。マル・エン全集からのものです
- 06: 名前:ナナーシ侍@三十八式投稿日:2002/07/06(土) 23:09
- レスはつけないけどキチンと勉強してるから続けてくれ。
愉しみにしてるぞ。
- 07: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 23:14
- >>6
質問あるならいつでもどうぞ。
- 08: 名前:名無しマニア投稿日:2002/07/06(土) 23:24
- ありがとう。
しばらくこのままで続けてくれ。
- 09: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 23:28
- 第1章第二節
商品を規定する労働の二重性ー具体的有用労働と抽象的人間労働
1.ある特殊な人間欲望を満たす使用価値を生産するためには、労働はそれに
応じて異なった目的、作業様式、対象、手段、結果を持つ。この使用価値の有用性
に表される労働は、具体的有用労働である。
2.労働は使用価値の形成者としては、社会形態にかかわりのない人間社会の
存立条件であり、同時に人間と自然との物質代謝(人間の生活を媒介)の永遠の
自然法則である。
3.人間労働の有用的性格、具体的形態を捨象すれば、そこに残るものは、
人間の脳や筋肉、神経、手などを生産的に動かした、すなわち人間労働を
支出したという事実だけである。
4.この人間労働力一般の支出とは、平均的に誰でも普通の人間が、特別な
発達無しに、自分の肉体のうちに持っている単純な労働力の支出である。
- 10: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 23:34
- (2)価値の質的規定性
1.価値の実体は人間労働、正確には抽象的人間労働である。それはあらゆる
人間労働に共通な属性であり、その意味で労働の社会的性格をも表現する。
2.人間労働力一般の支出としての人間労働→平均的に誰でも普通の人間が、
特別の発達無しに、自分の肉体のうちにもっている単純な労働力の支出。
3.この単純な平均労働は、国が違い文化段階が違えばその性格は異なるが、
既に存在する一つの社会では与えられている。
4.複雑な労働は単純な労働の数乗されたもの、あるいは数倍されたものである
- 11: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 23:38
- (3)価値の質的規定性
1.ある商品の価値の大きさは、その生産に必要な社会的必要労働時間によって
規定されている。
2.社会的必要労働時間とは、現存の社会的に正常な生産条件、生産の熟練および
強度の社会的平均度をもって、何らかの使用価値をせいさんするために必要な
労働時間である。
*怠惰な人がより大きな価値を生産するのではない。
- 12: 名前:ナナーシ侍@三十八式投稿日:2002/07/06(土) 23:41
- あんまり急がないでもいいからゆっくりやろうよ。
そのうち質問することがあると思うけど、よろしく。
- 13: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 23:45
- (4)労働生産性の上昇とは何か?
1.労働生産性の上昇(低下)とは、具体的有用労働の作用の高まり(低下)、
すなわち一定時間内にどれだけの使用価値を生産できるかを基準にした概念である。
2.一定の労働時間は同一の価値を生むのであり、それゆえ労働生産性の変化にかかわらず
生産される価値量は不変である。
3.労働生産性を規定する諸要因ー労働者の技能の平均度、科学とその技術的応用可能性、
生産過程の社会的結合、生産手段の規模および作用能力、自然事情など。
4.一商品の価値の大きさは、その商品に実現される労働の量に正比例し、
その生産力に反比例する。
- 14: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 23:49
- (6)価値法則の限界性
・価値法則が対象とするのは、再生産可能なもの、大量的に生産可能なものである。
・再生産不可能なもの(例えばピカソの絵)や、人間の労働によって生産されえないもの(土地や空気)
は価値法則には従わない。
・何らかの有用性を持ち、かつ独占可能なものは商品となりうる。→価格をもつが、それは純粋に
需給関係によって規定される。
- 15: 名前:Kyou投稿日:2002/07/06(土) 23:51
- ふ〜。とりあえず、第1章の第二節までいったわ。第1章が一番難しい
んだよね。この辺は議論がたくさん出来そうなんで、ここまででしばらくとめて
置きましょう。
- 16: 名前:ナナーシ侍@三十八式投稿日:2002/07/07(日) 00:08
- 乙かれ
- 17: 名前:ミスターボージャングル投稿日:2002/07/07(日) 00:19
- 自分の経済学的原点はサミュエルソンかもしれません。
では現実、マルケイ、キンケイ、問わず、私は遊休貨幣の
活性化が現代社会にもっとも必要と考えます。
私はアナリストでも論説委員でもありませんが、
道南に、最も欠けている事は、
資本、労働力、ではないように思います。
文字にすると、けっこうむずかしいですが、
ひらたく言えば空気が暗いのではなく重いのです。
しかし価値を持つ商品すべてが函館を発展
させるとは限りません。
もっと机の上で物事を決めなくてはならないと思います。
- 18: 名前:Kyou投稿日:2002/07/07(日) 01:03
- >>17
地域経済研究において、過疎化の問題はかなり深刻な問題。
これからは発展という方向じゃなくて、いかに人口減少を食い止めるか
という方向に動いたほうがいいかもしれない。
- 19: 名前:ナナーシ侍@資本論初心者投稿日:2002/07/07(日) 22:49
- あほな質問をしますが怒らんで教えてください。
資本論が生まれた時代と現代とでは、「商品」の再生産性に対する定義が
微妙に変化していると思うのですが、この事について後述があるのでしょうか。
それとも現代においても定義に変化はないというスタンスなのでしょうか。
・工場で大量生産される商品の原材料(資源)には当然定量があるので
労働力が続く限り永遠に再生産が可能と言うわけではないのでは?
・ということは、マクロでは土地や空気や水との区別が曖昧になっているのでは?
(これは「労働力」にウエイトを置くか、「商品」にウエイトを置くかで違うと思うが)
私は労働力よりもその生産物としての「商品」にどうしても興味が行くため
このような質問になってしまいますが、ひとつよろしく。
(ちなみに私の頭には資本論に関しての一切の情報はありません。ピュアです。)
- 20: 名前:ナナーシ侍@資本論初心者投稿日:2002/07/07(日) 23:17
- 書いてて気づいたんだけど。
例えば50坪の土地A(作物の収穫能力がある)には土地そのものに価値が生まれるよね。
その土地で人間が労働力を駆使した結果収穫された作物にも当然価値が生まれる。
この場合、土地そのものの価値と収穫物の価値にはどのような違いがあるの?
- 21: 名前:ナナーシ侍( ´∀`)y-〜投稿日:2002/07/08(月) 22:20
- ああ、あくまでも「労働力」なんだな。
- 22: 名前:Kyou投稿日:2002/07/10(水) 03:50
- >>19
全然アホな質問じゃないよ。全体の理解に関わる重要な問題だよ。
まず1番目。ここの段階において、マルクスは、単なる労働生産物について
論述しています。そのほかの商品は後になってから分析がなされています。
(例えば金融商品や、土地つまりは地代)
- 23: 名前:Kyou投稿日:2002/07/10(水) 03:54
- >>工場で大量生産される商品の原材料(資源)には当然定量があるので
>>労働力が続く限り永遠に再生産が可能と言うわけではないのでは?
ここについてはその通り。しかし、資本制的生産においては、生産が
無限に発展するということが前提になっています。
- 24: 名前:Kyou投稿日:2002/07/10(水) 03:57
- >>ということは、マクロでは土地や空気や水との区別が曖昧になっているのでは?
土地、空気、水は労働生産物ではないので商品ではありません。またこれらを
あえて区別しようとするならば、これらは3つとも、使用価値レヴェルでは
違うものですよね
- 25: 名前:Kyou投稿日:2002/07/10(水) 03:59
- >>例えば50坪の土地A(作物の収穫能力がある)には土地そのものに価値が生まれるよね。
生まれません。というより土地そのものは労働生産物じゃないので価値物
ではありません。くわしくは「地代論」でやりましょう。「地代論」は私の
専門テーマなんで。
- 26: 名前:ナナーシ侍@資本論初心者投稿日:2002/07/10(水) 06:31
- 了解しました。
「地代論」ってのがあったのね。
楽しみです。
- 27: 名前:名無しマニア投稿日:2002/07/12(金) 01:57
- ここですね。大変重要なところだと思いますが、例えば、まだ1章の1節に
いらっしゃるので尋ねるのもどうかと思いますが、”使用価値”たらんとする
には、まず社会的な関係に入らなきゃなんないんですよね。つまり他の使用価値
と交換できるモノであらん事。
マルクスは歴史的うんぬんとかいうけれども、例えばここで”働いてみたけれども”
(=価値は存在する??)社会で認められなかったよん(使えないものだったよん)
”なんてざらにあるのではないでしょうか? ちょっと脱線するかもしれませんが
いかがでしょう。
- 28: 名前:Kyou投稿日:2002/07/12(金) 02:08
- >>27
いや使用価値は社会的にならなくてもOKでしょ。
物の本来的な価値は使用価値にあるのだけれども、
社会的には交換価値によってしかあらわされない、
というところがポイントだと思うんだけれど。
- 29: 名前:ナナーシ侍@資本論初心者投稿日:2002/07/12(金) 08:11
- 使用価値は必ず等価じゃなきゃいけないのですか?
交換比率が変わるだけですよね?
- 30: 名前:ナナーシ侍@資本論初心者投稿日:2002/07/12(金) 08:14
- 「使えない奴」は、その交換価値たる支払い報酬の下限許容を下回ったということだよね?
- 31: 名前:Kyou投稿日:2002/07/12(金) 13:08
- >>使用価値は必ず等価じゃなきゃいけないのですか?
ここではそうです。
>>交換比率が変わるだけですよね?
まだ価格の話はしてませんので、その議論は後ほど
>>「使えない奴」は、その交換価値たる支払い報酬の下限許容を下回ったということだよね?
「使えない奴」には1円も払われないの?そういうわけじゃないでしょ。
こういう言い方は一面では当たってるし、一面では外れてるよね
- 32: 名前:ナナーシ侍@資本論初心者投稿日:2002/07/12(金) 14:25
- 俺の表現が悪かったみたいね。
「その仕事(出来高)に見合った分の報酬でバランスする」
の方がよかったかな?
どっちにしても、先に進んでいただいてかまいません。
では、どうぞ。
- 33: 名前:Kyou投稿日:2002/07/13(土) 13:58
- >>32
賃金問題(出来高賃金)のこと?
これもあとでやりましょう
- 34: 名前:Kyou投稿日:2002/07/16(火) 23:49
- 価値形態論
(1)価値の実体と形態
1)価値の実体は抽象的人間労働であり、それはすべての商品の社会的同質性、
同質性を規定している。
2)価値のこの社会的性格は商品と商品との社会的な関係すなわち商品の
交換を通じて表現される
★本質と現象形態
3)商品の価値形態を明らかにすることは貨幣形態の謎、貨幣とは何かを解明することに
つながる。
☆事柄の発生史、論理的な発生史を語ることの意義
- 35: 名前:Kyou投稿日:2002/07/16(火) 23:55
- A.単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
想定される単純な交換関係:20エレのリンネル=一着の上着
・単純で、偶然的な価値形態、価値関係は何を意味するのか。
(1)価値表現の両極
1)単純な価値形態では交換される二つの商品は異なった役割を演じる:自らの
価値を表現しようとする商品と価値表現の材料とされる商品。
2)両者は相互に不可分であると同時に排除しあう関係=両極をなす
- 36: 名前:Kyou投稿日:2002/07/18(木) 00:29
- (2)相対的な価値形態
1)その内実
・ただ同じ単位の表現としてのみ、リンネルと上着は量的に比較可能、通約可能
な大きさである→量的交換割合の捨象
・リンネル=上着、これら2つの商品の同質性がいかに表現されているかを明らかにしなければならない。
この同質性の表現形態の論理が価値関係、価値表現形態の内容をなす。
★リンネル=上着の謎。現物形態が異なるにも関わらず、リンネルは上着と同じものに見える?
- 37: 名前:Kyou投稿日:2002/07/18(木) 18:18
- 2)「回り道」の論理
・リンネルの価値だけが表現されている。リンネルの価値はいかに表現されるのか?
- 38: 名前:ナナーシ侍@資本論初心者投稿日:2002/07/19(金) 08:01
- むむむ、そろそろきつくなってきたぞ。(w
- 39: 名前:Kyou投稿日:2002/07/19(金) 23:24
- ・リンネルが自分と「交換されるもの」、自分の「等価物」としての上着と関係
する場合にのみリンネルの価値が表現される。リンネルが上着を自らの
等価物として位置づける。
・この関係の中では、上着はただ価値の存在形態、等価物として認められる。
・他面で、リンネルそれ自身の存在価値が現れてくる。すなわちリンネルの価値は
独立の表現を与えられる。なぜなら、ただ価値としてのみリンネルは、等価物または
自分と交換されうるものとしての上着に関係することが出来るからである。
- 40: 名前:Kyou投稿日:2002/07/19(金) 23:34
- ・このような「価値体」としての上着と関係することによって、リンネルもまた
価値としては上着に等しいもの、したがって上着に見える。リンネルは自らの
現物形態とは異なる独立した価値形態を受け取る。
・上着をつくる裁縫は、リンネルを織る織布と等置されることによって、両者に共通な
抽象的人間労働に還元される。
・しかし、リンネルの価値をなしている労働の独自な性格を表現するだけでは
十分ではない。流動状態にある人間の労働力、人間労働は価値を形成するが、価値そのものでは
ない。
・この抽象的人間労働が、上着に対象化されることによって、リンネルの価値は、価値が
それにおいて現れるもの、手でつかめるその現物形態で価値を表しているものとして
認められる。
- 41: 名前:Kyou投稿日:2002/07/19(金) 23:37
- 3)相対的価値形態の量的規定性
・価値形態は価値の量的規定性をも表現しなければならない。
・労働生産物の変化が価値量の相対的表現に及ぼす影響:リンネルの価値の
変動と上着の価値の変動との様々な組み合わせ→@相対的価値の変動は正反対の価値の量的変動から起こりうる。
A価値量に変動があったとしても相対的価値に変動が起きない場合。
- 42: 名前:がっつ名無し投稿日:2002/08/06(火) 04:50
- マルクスの最大の誤り
マルクスは、資本主義の問題点を、多くの個人企業家のかわりに、唯一の
企業家、つまり、国家を立てることで解決できると考えました。マルクスの
最大の誤りは、資本主義を変えようとしなかったことです。マルクスは、
国家に資本主義を任せようとしたのです。つまり、私たちは、過去50年から
70年の間、対立する双子を持っていたのです。つまり、民間資本主義と、
国家資本主義であり、どちらも、資本主義のシステムで、それ以外では
なかったのです。マルクスの大きな功績は、経済批判を可能にする概念自体
を作り出したことにあります」
- 43: 名前:Kyou投稿日:2002/08/06(火) 04:53
- それは一部あたっているが一部違うだろ。マルクスは国家をも疎外態の
最高の発展形態とみなしているし国家独占にも分析を施している。
- 44: 名前:Kyou投稿日:2002/08/06(火) 04:55
- >>27
現在、「経済学批判」を電子化しています。そこから引用します。答えにな
っているでしょうか。また、引用は、「漏れの意見」を出来るだけ排除するた
めです。
「直接には使用価値は、一定の経済的関係である #交換価値# があら
わされる素材的土台である。」
これが意味するところは、使用価値なき交換価値はない、ということです。
「交換価値を生みだす労働を特徴づけるものは、人と人との社会的関係が、
いわば逆さまに、つまり物と物との社会的関係としてあらわされることである。」
このマルクスの言葉から考えるに、まず「社会的な関係」を前提するものは
交換価値、すなわち使用価値ではなくて交換価値=商品市場だと考えます。
- 45: 名前:Kyou投稿日:2002/08/06(火) 05:02
- (3)等価形態
1)等価形態の規定性
・上着はリンネルとの価値関係のなかでは「リンネルと直接交換可能なもの」
として現れている。
・一商品の等価形態は、その他の商品との直接交換可能性の形態である。
★貨幣=いかなる商品とも直接に交換可能な価値形態、それゆえ等価形態
は貨幣の萌芽である。
2)等価形態は量的な価値規定性を含んではいない。
- 46: 名前:Kyou投稿日:2002/08/06(火) 05:12
- (4)単純な価値形態の全体
1)商品内部の使用価値と価値との対立が、価値関係においては二つの商品の
外的対立として現れる。
・相対的価値形態にある商品は直接には使用価値として存在するのに対し、等価形態
にある商品は直接には交換価値、価値の結晶物として認められる。
2)単純な価値表現の不十分さ(限界)
・リンネルの価値はただリンネルの使用価値とだけ区別されている。リンネルの価値はリンネルの
現物形態とはあきらかに異なる外的な存在形態(上着形態)をとっている。
・リンネルの価値は他のすべての商品と質的同等性として示されてはいない。→リンネルの
価値はその社会的本質にふさわしい存在形態をとっていない。
3)全体的な、展開された価値(表現・現象)形態への移行の可能性
・リンネルの個別的な価値表現は、商品種類の数だけいくらでも引き伸ばせる。
→リンネルは、自分以外のあらゆる商品と交換可能であることを主張する。
- 47: 名前:Kyou投稿日:2002/08/06(火) 05:16
- 資本論第一巻第一章第一節に、こんなのがありました。
「ダイヤモンドは地表に出ていることがまれだから、その発見には平均的に
多くの労働時間が費やされる。したがって、ダイヤモンドはわずかな量で多
くの労働を表わす。」
- 48: 名前:名無しはん投稿日:2002/08/06(火) 21:19
- 「宇宙の労働者よ、団結せよ」by 矢追
- 49: 名前:Kyou投稿日:2002/08/11(日) 00:12
- 正しい歴史認識は
1先の戦争は自存自衛の戦争・アジア開放の戦争だった
2従軍慰安婦は自分からついてきた
3南京虐殺はなかった
4中国朝朝鮮人は劣等民族
こういう人は戦前に生まれればよかったのにね。
- 50: 名前:がっつ名無し投稿日:2002/08/11(日) 00:19
- >>47
はい、ありました。というか、そこを読んで疑問に思ったんです。
ダイヤモンドは見つけるのが大変だから、労働量が大きい。
だから交換価値が高い。
???
もし、見つけるのが大変でも、社会的関係内で
交換相手がそれを欲しないとき価値は無いのではないの?
ダイヤが高いのは、ダイヤ貴重という社会的使用価値があるからで
単純に発見までの労働量に比例できるものか、と思ったんです。
社会的な信用がなければ、交換価値は生まれないのでは?
その信用の最たるものが、お金ですか。
経済学しろうとでその辺の他学派の考え方がよくわかりません。
交換価値(価格)の決定ついては、どんな学説があるんでしょか。
- 51: 名前:kyou投稿日:2002/08/11(日) 00:21
- >>50
見つけるのが大変=労働投入量が大きい、のに安い
→誰もダイヤなんかほらねーよ
→希少性が増す
→値段が上がる
もしくは、ほんとうに需要が少ない
→誰も掘らない
→誰も困らない
- 52: 名前:がっつ名無し投稿日:2002/08/11(日) 00:24
- しかし、ダイヤはGEか住友化学かどこかが合成ダイヤを成功させたという
けどね。
- 53: 名前:kyou投稿日:2002/08/11(日) 00:34
- 宝石になるような大きいのはまだです。しかし、合成ダイヤができた
場合については、弟1章弟1節で書かれています。
「もし少量の労働をもって、石炭がダイヤモンドに転化されうるよう
になれば、その価値は煉瓦以下に低下することになるだろう。」
- 54: 名前:kyou投稿日:2002/08/11(日) 00:37
- >>52
装飾品にはなりません。研磨剤です。安いですよ(謎藁。
>>53
マルクスさんは、研磨剤とかの工業用途は思い浮かばなかったんですね。
>>50
本論については答えが出ていますね。さて、価値決定過程については、
確かにマルクス理論は弱いですね。これは、確かに近代経済学系かな。
- 55: 名前:名無しはん投稿日:2002/08/12(月) 23:15
- このレスで議論できる優秀なみなさん!
漏れの知り合いで経済に強くなりたいから、経済学部生になったのに、ほとんど
何もできないバカがいます。
マルクス経済学でもほかの理論でもいいのですが、経済学に入る前に読むべき本
か著者をここで教えてください。
- 56: 名前:kyou投稿日:2002/08/14(水) 19:00
- 一番初めに読むべき本としては、有斐閣新書の「入門経済学」
がいいかも。著者は確か鶴田満彦他だったはず。同じシリーズで
「経済学入門」ていうのもあるけど、「入門経済学」のほうが分かりやすい
かも。漏れも一番最初、この本で勉強しました。
- 57: 名前:kyou投稿日:2002/09/01(日) 23:49
- ていうか他の人もレジュメ切ってくださいな
- 58: 名前:kyou投稿日:2002/09/02(月) 00:59
- 興味あるひとはどんどん書き込んでください。漏れ一人でやるのは限界があるんで
- 59: 名前:がっつ名無し投稿日:2002/11/01(金) 19:42
- 廣松渉編の「ドイツ・イデオロギー」が岩波文庫で出ましたね。
一応買ったけど、読むあてなし・・・^ ^;
- 60: 名前:kyou投稿日:2002/11/02(土) 04:15
- 漏れは花崎訳(合同出版)しか持ってない…。
ドイデは。
- 61: 名前:がっつ名無し投稿日:2002/11/02(土) 17:35
- 「ド・イデ」といえば、学生運動やってるやつ(または崩れ)が
(勉強しないことを正当化するのに?)仰々しく取り出すのが、このフレーズ。
>「哲学者たちは、それぞれの方法でこの世界を「解釈して」きたに過ぎない。
>肝心なのは「変革する」ことだ」(フォイエルバッハに関するテーゼ)
しかしこの本、結構読みにくい(未完成だし)し、何でこんなテーゼが
論述上ここで出てくるのか良くわからん。
この言葉をありがたく思う奴は、ほんとにこの本読んだんだろか?
- 62: 名前:kyou投稿日:2002/11/03(日) 04:14
- >>61
まーあそこは、マルクスが自分自身のジレンマを語っているのだと
思われ。ドイツ哲学からの脱却を図ったんだろ。
- 63: 名前:ミスターボージャングル投稿日:2002/11/03(日) 22:52
- 私はマルクスやシェインの経済学、心理学、に特別な固執はありませんが、では
現在日本、特に北海道を語るにおいて、温故知新といいますか
生産を大切にした思想(ものづくり)が重要と考えます。
- 64: 名前:がっつ名無し投稿日:2002/11/08(金) 05:49
- 資本論てなあに?
- 65: 名前:kyou投稿日:2002/11/11(月) 04:46
- マルクスが書いた、経済学の本。全3巻。日本語訳は、岩波、大月、新日本
等から出ている。この辺でいい?
- 66: 名前:kyou投稿日:2002/12/26(木) 02:56
- あ、そうそう。価値には真の個別的価値、虚偽の個別的価値、社会的価値
といったものがあります。その辺は、ヘーゲルの「大論理学」を読まれると
よろしいかと思います。
- 67: 名前:kyou投稿日:2002/12/26(木) 02:59
- あと、資本論を読むにあたって、現象と本質の違いをはっきりさせておいた
ほうが分かりやすいです。
特に「AはBを規定する」という意味をはっきりさせると良いです。
- 68: 名前:kyou投稿日:2002/12/26(木) 02:59
- まーその辺を明らかにするにはヘーゲルに立ち返らなければならんのですが
- 69: 名前:kyou投稿日:2002/12/26(木) 03:02
- >>63
この視点は、日本全体に取り入れられるべきだと思う。
だって、なんだかんだ言って、日本の雇用を守ってるのは中小企業なのですから。
大企業は今は、賃金の安い中国、東南アジアに拠点を移しているからね。
- 70: 名前:ミスターボージャングル投稿日:2003/02/08(土) 00:27
- まったくその通りだと思う。
では日本古来の技術と労働が現代社会にマッチしないものか・・
たとえば漆塗りのカローラがあってもいいと思わない?
って野猿街道を走りながら考えてました。
資本論からちょっとずれました・・・。
- 71: 名前:kyou投稿日:2003/02/10(月) 05:06
- >>野猿街道を走りながら考えてました
野猿街道?もしかして俺の家の近くの野猿街道?
八王子から多摩市にぬける、あの野猿街道でしょ?
- 72: 名前:kyou投稿日:2003/02/10(月) 05:07
- あげとく
- 73: 名前:kyou投稿日:2003/02/10(月) 05:14
- >>漆塗りのカローラがあってもいいと思わない?
アレルギーの人はかゆくてしょうがないだろうな…。そんな車に乗ったら。
まーでも、日本の伝統工芸やってる人って、今そういう努力を必死にやってるんじゃ
ないの?
- 74: 名前:ミスターボージャングル投稿日:2003/02/11(火) 21:12
- kyouさんこんばんわ。
袖触れ合うも多少の縁、
世の中狭いですね!
私は以前、北野町に7年住んでました。
都心から中央道で帰る便利さ、中央線も京王線も選択できる、
空気の良い、あきる野、青梅、奥多摩にも近い、
町田や相模原にも行ける、NT(南大沢)も近い、
大変なつかしく、思い出深い街です。
湯殿川を散歩していた頃を思い出しました。
機会があれば、ふらっと行きたいと思います。
○○年前の資本論片手に・・・。
- 75: 名前:kyou投稿日:2003/02/11(火) 22:07
- >>74
あらら!俺は堀之内のほうですよ。この辺も、ここ数年で、色々かわりました。
モノレールができたり、ドンキ・ホーテができたり。相模原線の特急がなくなったり…。
昨日あたりから、花粉が飛んできてるようです。鼻がかゆくてしょうがない。
今は、北海道にご在住ですか?
- 76: 名前:がっつ名無し投稿日:2003/02/12(水) 10:17
- 一度も入った事はないけどやたら看板が目に付くホテル野猿とか、
モスバーガーとか、あー懐かしい。
大学あっちの方でした。
最近は大きなアウトレットもできてますよね。
北海道来て一番幸せなのは、花粉症の症状が出なくなったことです。
これから長期戦になられると思いますが、お身体、お大事に…。
>kyouさん
- 77: 名前:ぴょんちょ投稿日:2003/02/12(水) 18:05
- ブックセンターいとうとラブラブ使ってる?
- 78: 名前:kyou投稿日:2003/02/13(木) 07:21
- >>76
ホテル野猿…。あれ、看板はよくみるけど、実際どこにあるか知ってる人
少ないんだよね(笑
俺も、いつかあそこからホテトル呼ぶのが夢です。
>>77
いとうは、よく使ってるよ。エロビデオの中古を漁りに。
ラブラブは不便だからあんまり行かない。
- 79: 名前:ミスターボージャングル投稿日:2003/02/16(日) 22:46
- >>78
現在北海道在住です!
なんか資本論と、ずれてしまいますが、懐かしい限りです。
- 80: 名前:kyou投稿日:2003/05/17(土) 03:12
- 学内業務が暇になったら、ちゃんとやるから、もうちょっとまってね
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