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  「温故」昔の体験ブログ風「知新」

01: 名前:ミスターボージャングル投稿日:2005/09/20(火) 23:18
自分や他人の体験談、経験談(成功・失敗問わず)から
未来が開けるが現実
反論も善し、賛成も善し、
ネガティブな疑問からポジティブな発想へ・・・・。

おじさんの居場所が欲しいだけか・・・・。

02: 名前:ミスターボージャングル投稿日:2005/09/20(火) 23:38
「食材は変化するの巻」

でもって、みなさん!
昔僕(小学生)はコーンフロストを買った(遠足のおやつ)
今は亡きばあさんは、それは菓子のクズを食べていると・・・
ばあさんにとってクズじゃないお菓子はカリントウか金平糖。
十数年前子供からグミをもらった(散々触った指紋付)
何じゃやこれ!ゴムを食うか?
時は流れて、何事初めて は・・だが慣れればいいかもが(結論)

03: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/09/21(水) 06:20
おじゃましまーす。
最近夜が早く朝も早くて困ってます!!って困ることもないか。
空気読みながらたまにレスさせていただきますのでよろしくです。

04: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/09/21(水) 06:29
10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。
いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。

byゲーテ

05: 名前:MBジャングル投稿日:2005/09/22(木) 23:35
「やっと着く所は大切の巻き」

僕は8年前に父島に行った事がある。(仕事で)
そう、小笠原諸島というか東京都である。
たしかフェリーで25時間かかった(調べればすぐ判るが)
携帯も通じなく新聞は一週間後(普通FAXもらう)
当時ノートパソコン持っているわけでもなし、公衆電話から家に電話
すると、地球の裏側くらい(2秒遅れ)の会話になる。

民宿のおっさんは言った。
世界で25時間もかかって着くのはここだけかも・・・(確かに)秘境除く。
死ぬか生きるかの場合はセスナ飛ぶから安心してね!
南国フルーツ見て不要に近づくと、トラバサミあるから気をつけて!
朝、靴を履く時は中をチェックしてね!(ゲジゲジとかいるし)
星空や月を見たけりゃこの天体望遠鏡自由に見てね!
(高価だからレンズ傷つけないでねw)
パンツとシャツは、この洗濯機勝手に使ってね!
クジラやイルカ見に行くならいつでも言ってね!

仕事は一日で終わり、する事無し。三泊後にしか帰りのフェリー出ません。
水着を忘れた自分、後悔するも下着のパンツで泳ぎまくり・・・。
宿泊客はみんなダイバー、OLの旅行、引きこもりのケアの家族、
雑踏から隔離された僕は鍵も無い網戸の部屋で爆睡した。
そして暗くなるとひたすら望遠鏡で星や月を見た。

下手な海外旅行より、よっぽど新鮮!
さらに南下すれば、もう、サイパンだけど
そんな船はなっかった・・

06: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/09/23(金) 15:17
田舎の道をドライブしているとくたびれた看板をよく見かける。
「カンコー学生服」「オロナミンC」「東北サファリパーク」など、なかでも「RCコーラ」の看板は場所によってはとても大きなものが残っていたりする。
RCコーラ=ロイヤルクラウンコーラは世界で3番目の背シェアを持つコーラ飲料。
しかし、2位のペプシコからずーーーーーーーーーーーーーーと離れて3位なので、本国でもあまり人気がない。

07: 名前:MBジャングル投稿日:2005/09/24(土) 00:21
>63さん
そのような看板って、結構視角にはいりますよね!(なぜか納屋)
電車で液晶画面の広告より吊広告の方がボーっと見たりします。

「我が家に、ついにデジカメが来た!の巻」
初めて買った物を、買ったと言わず、来たと言ってしまう・・
高度成長期のカラーテレビじゃあるまいし・・
自分はフィルムカメラのシャッタースピードを早く、開放ぎみに撮る
写真が好きで、会社ではデジカメ使ってましたが、どうも
ふんぎりがつかなかった。

携帯にもビデオムービーにもカメラ機能はあるし・・・・。チェキもあるし(当った物)
写真好きな人は36枚撮って良い写真は、せいぜい1枚って言うけど
僕はせっかく撮った写真は何でもかんでも保存やプリントしたい人間。
だって素人なのだから・・ましてや子供の写真なんぞ失敗写真が
結構いい感じなのだ。だからフィルムでも何でも一緒か・・と思うが
やっぱり時代は便利!楽しい!きれい!味もある!

新しい技術ってすごい!と、つくづく思う。

08: 名前:せ・ぼん投稿日:2005/09/24(土) 07:24
>MBジャングルさん、結構なスレたてありがとうございます!
ひさしぶりに東京に出張しましたが、切符の買い方がわからない、人込みに突入できないで往生したぁ
それにしても東京さは歩くとこだねぇ
ビッグサイトで展示会だったのだけど駅からビッグサイト−展示場までって1キロ近くある?
1日目で足がパンク
早速、魚の目ができにくいという靴を購入
靴は大事だとつくづく感じた出張でした

へとへとに疲れて帰ってバタンキューで寝たのに今朝も6時には目が覚めてしまう
歳を感じます

09: 名前:青いスタスィオン投稿日:2005/09/24(土) 09:48
だんだん、なごみ系サロン風になってきていい感じになってまいりましたね。
会員番号6番です。

ドライブシリーズ 第二弾!
田舎の道路に限らないが、郊外の道を走ってると目に入ってくるの廃墟、廃屋の姿。
日本の場合、特に北海道のように歴史の浅い土地では「廃墟」と言えるよなものはあまりなく、離農した「廃屋」が多い。
「こんな山奥に開拓で入ったのか」と思うことも多い。
どんな人が住んでいたんだろう?
子供はいたのかな?牛や馬も飼っていたんだろうな。きっと鶏や犬も。
脳裏に浮かぶモノクロの家族写真。
笑顔で笑う子供たち(当然、鼻水たれてる)。

でも、ある日離れてしまったんだろうな。

そんな家の片隅についている
RCコーラのホーロー看板・・・

今はもう飲むことができない

10: 名前:MBジャングル投稿日:2005/09/25(日) 01:07
>せ・ぼんさん
東京は歩く所ですよね!国際展示場の中も広いですし・・・
以前、靴のヒールをしょっちゅう変えてたのを思い出しました。
隣の関係無い展示会のコンパニオンが気になりませんでしたか?あっ失礼。

>青いスタスィオンさん
私は函館に住んでから、廃屋というより市内の古い建物を意識して
見るようになりました。大正や昭和初期の近代建築に関心しますが
普通に古い家屋から住んでるにおい(料理とか御香とか)
がする場合がありタイムスリップします。

「聞くは一時の恥・・の巻」
札幌の大通りを歩いていたら、大通公園はどこですか?
と聞かれた事があり、ここが大通公園ですよ!と答えた。
自分は最初、七重と七飯を混同していた。
名古屋の友人は千秋庵を、ちあきあんと読んだ。
今でこそ何でもネットで調べますが昔は・・・

東京の若者に、ほっけの開きは開いた状態で泳いでいる魚だと思っていた
人間がいました。僕は面白がって、サイロには牛乳が入っていると言ったら
案の定ひとり信じてしまった。
さすがに黒い牛からはコーヒー牛乳が出る!と言ったら
へぇ〜・・じゃジャングルさんフルーツ牛乳は?ボケ返された・・

11: 名前:のんべ投稿日:2005/09/25(日) 02:15
トイザラスでガンダムの古いプラモデルが再販されてたのを
見つけ懐かしくて買ってきて、それを子供と一緒に組み立てた。
なんか、いまいち冴えない出来だが子供は気に入ってるようなので、
まあいいか。 実はこのプラモデル、おいらが小1のときに父親と
一緒に初めて作ったガンプラの再販品だったりする。
親子3代お世話になりますたw

12: 名前:青いスタスィオン投稿日:2005/09/25(日) 09:37
ガンダムどころかヤマトやザブングルも再審開始・・・!!!じゃなくって再販開始です。
昔は「大和」や「ゼロ戦」なんかがプラモデルの王道だったんだろうけど、いまや「ガンダム」ですね。
そろそろ30年を迎えようというコンテンツ、親子2代3代となっていくんでしょうね。
ある意味「ビートルズ」的な存在になりつつありますが、ビートルズと違って常に新作が発表されるのがいいです。

NHKの思い出
不祥事多発とかで受信料の徴収が難しくなってきているNHK.
でも、自分が子供のころ道東の山間部で一番よく見えたのはNHK.
VHFはまだしもUHFはほとんど写らなかった。
でも、NHKはニュースばっかりで子供向けの番組がほとんどなかった・・・

そんなNHKのオアシスが「おかあさんといっしょ」「みんなのうた」「世界のアニメーション」あと人形劇・・・。
どれもこれも素朴な味わいの番組だが子供心にはまだ見ぬ「マジンガーZ」だったりする。

床屋に行ったとき、歯医者に行ったときにみる待合室の「冒険王」や「テレビランド」、どれもこれもカラーグラビアにはまだ見ぬ番組ばかり。
でも、我が家のTVはNHK専用。

「レンズはさぐる」を見ながら「今日はマジンガーの放送日かなあ」とか考えるある日の夕食だった。

13: 名前:せ・ぼん投稿日:2005/09/25(日) 10:15
ビッグサイトに行くのにゆりかもめを利用したのですが、電車男の登場人物風の集団をあちこちで見ますたよ
案の定、プラモデルショーをやってました (ガハハ
行きたかったけど反対サイドだったので気力なし時間なし

>青いスタスィオンさん
パソコンテレビ GyaOというサイト(Usenがやってる)は完全無料でガッチャマンとか紅三四郎、みなしごハッチとかやってます
残念ながらマジンガーZはなかったなぁ
スポーツもヨーロッパのワールドカップ最終予選なんかを流してますよ

14: 名前:青いスタスィオン投稿日:2005/09/25(日) 22:37
>>13
すいません、昔の話なんで・・・
「マジンガー」はその後ビデオでレンタルで見ました。
でも、本放送当時のようなわくわくはなかったなあ。

やはり、失われた時は戻らないのね。

15: 名前:MBジャングル投稿日:2005/09/27(火) 00:32
僕は今でも後悔しているというか、心が痛む事がある。
確か小学3年生の時だったと思う・・
友達3〜4人で外で遊んでいて、今度は僕の家で遊ぶ事になった。
(家といってもボロアパートだけれど)

昔はクラスに一人位、風呂に入らないで不潔というか臭いやつがいた。
僕は露骨に家にあがるな!とは言わなかったと思うけど、
ちょっと待ってて!位、その一人に言った。
30分くらい家の中で遊び外にでたら、そいつは一人しゃがんで泣いていた。
(待っていた)
「ごめん」と言っただろうか・・いや、言ってない。
僕はその夜無言だった・・それを察知され親に、はなした。
こんこんと説教された。色が白いとか黒いとか、毛深いとか薄いとか、
太っているとか、、、そうゆう事は口にだすな!遊びの中でもだめだ!
また自分が逆の立場になった時のことなど・・・を。

なにを隠そう自分は足が白くて半ズボンが大嫌いだった。

自分はクラスで嫌われ者でないことに うぬぼれ、ただ流れに加担
することしか出来なかったのだろう。
それから僕は誰とでも話すし差別ない態度で接した。(と思う)
クラス全員と仲良しは無理だけど、話かけられれば答えるし、
普通に接した。
その事を以前子供に話たら、うんうんとうなずいてはいたが・・
返ってきた言葉が「お父さんマジ臭いわ!」って、あぁ〜あ・・

16: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/09/27(火) 23:06
>>15
そうでうよね〜、小学校とかだと結構、自意識過剰になってますよね。

17: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/01(土) 00:34
「文化炊きつけは文化だ!の巻」
ここ数年環境問題(大きな意味で)が各方面で取り上げてます。
少しだけ昔に戻ればいいらしけど、自分は戻れるだろうか・・・。

僕は便利な物は利用したい部類だ。
人間が考えた技術や利便性は時短や効率・能率を促進する。
それが豊かかどうかは別にして。

この間僕はお風呂あがりに、上がったよーと言ってしまった。
これはジャングル家由来の、家族は次々お風呂にはいらなければ
湯船が冷めてしまうので早く次ぎ入れ!の意味である。
普段帰りが遅いくせに・・・

エレベーターも使うしエスカレーターも使う
水洗トイレは使うし、洗剤も使う、アイドリングストップしない。
僕は、もう生きている事が罪悪だろうか・・戻れない・・
せいぜいゴミの分別をちゃんとやることくらいか・・・
でも子供のころは、残飯を集める(養豚のおやじさん)がいて、
竹串は混ぜるな!(豚の、喉に危険)とか言われ必然と分別した。

農家の友達の親からもらったスイカ食べてうまい!って言ったら
俺の人糞まいてるし・・・ぶへ!
そのスイカも冷水じゃなく冷蔵庫で冷やす自分。
当たり前だけど、昔に戻れない・・・。

20世紀の三大発明は、地下足袋、亀の子たわし、二股ソケットらしい。
21世紀の三大発明は、何だろうか・・・。

18: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/03(月) 23:58
「待ち遠しい事は大切だ!」
・・・・2分経過。はて・・・。
お正月?クリスマス?誕生日?旬の食べ物?・・少し違う。

少年時代の一時期のこと、
冬になると自転車は物置にしまってしまう。(一番奥に)
春になると早く乗りたいけど子供じゃ出せない。
石炭小屋の奥で、しかもガラクタも満載・・・。

雪解けとともに父親がめんどくさそうに奥から出してくれる。
少し磨いてくれて、チエーンに油を注し、虫ゴム交換して空気を入れる!
その日は一日お尻が痛くなるほど乗ったものだ!
それだけで嬉しかった。
最近は待つことや、我慢することは不便なことかもしれない。
でも待つことも時と場合によっては大切に思う。
病院の待ち時間とかじゃなく、楽しみを待つこと・・・。
物欲でもいいけど、もっと精神的なもの。

昨日、空港で、出迎えの家族の笑顔を傍観し
自分は一人だけどなぜかニヤニヤしてしまった。

19: 名前:あんころ投稿日:2005/10/05(水) 18:09
中3の数学の期末試験での事。

先生のはじめ!の声で答案用紙をひっくり返すと、前日に
友達5、6人と予想していた応用問題がそっくり出ていた。
やっぱり出たって、おもわずうしろの奴を振り返ったら
「なんで教えてくれなかったんだ」って。そりゃうらめしそうな目で
言われた。だって普段、そんな話に加わるような奴ではなかったのに
なんか自分がとてつもなく悪い事をしたような気がして、
50分がとっても長かった。

終わったら、何ごともなかったかのように、そいつは
振る舞っていた。救われたおもいだった。

気がちいさくて、純情だったんだな。
30年以上昔の話。

20: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/05(水) 21:37
親戚のガキんちょが、家に帰ってきてすぐカバンもって出かけようとしてtので、
「お前“予習”いってんのか?」ってきいたら、
怪訝そうな顔で、「ンッ、何それ?」って言われちまった。

もう死語になってたんだな・・・

21: 名前:あんころ投稿日:2005/10/06(木) 19:42
なんか先週、懐かしい人に会ってシンミリとしたせいか
語りたくなって、昨日続いて、ゴメン。

自分が大人になって、嫁さんと子供をかかえてみると、育ててくれた
実家は、そりゃ、裕福ではなかったけれど、それほど貧しくも
なかったと親に感謝している。
それでも、小学生のうちは、なにか欲しいものがあっても
親父がわかってくれた時だけ、1日10円もらっていた。
(昭和30年代から40年代にかけてのことね。)

4年生の時、なにかのおりで母と大門へ行った時、
自分がせがんだのだろう、広小路のパーラーでアイスクリームを食べた。
自分が半分ぐらいも食べても、母の前にはコップの水だけ。
なんか言った記憶はある。でも、母は笑っているだけ。
帰り道、涙がでてどうしようもなかったのを、はっきり憶えている。

80すぎてもまだ元気な母。
そうゆう時代だったんだな〜。

22: 名前:さいて〜な男投稿日:2005/10/06(木) 20:09
ん十年前、わしが某高校の生徒だった頃

ものすごい雨の日だった。
柏木町のバス停で、わしは8番のバスが見えたので、傘を持ちつつ
必死で走って、バス停に間に合った。

そこに、傘を持たない某私立女子校の女の子がずぶぬれでバスを待っていた
その子が、8番に乗るものだと思っていたが、その子は乗らなかった
たぶん、11番に乗るのだったのかも知れない。

考えれば、その時、わしの傘をその子に貸すかあげればよかったかも知れん。
だが、その傘は死んだばかりのオヤジの形見の傘だった。
わしは、結局その子を見捨てて8番に乗ってしまった。

遠回りでも11番に乗って、その子を傘に入れればよかったのだ・・。

今考えるとかわいそうなことをしたと思っている。

23: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/06(木) 22:19
>>22
それに近いようなぜんぜん遠いような話がありまして。
ン十年前に同じく16番で柏木町まで通っていましたが
某私立女子高の生徒さんもたくさん乗っておりまして。
密かに恋焦がれていたとても美人な子がおりまして。
かといって告白するでもなくじれったいようなどうでもいいような。
ある日、柏木町で降りようとしたらその子が前にいまして、
ステップに残ったスカートのすそを俺が思いっきり踏んでしまいまして。
あらまぁ、歩道に下りた時にはその子はスカートが脱げていましたとさ。

あんときゃ慌てたなぁ・・・

24: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 10:16
私も、遠い昔16番バスで柏木町の高校まで通ってた。
バスの中に好きな人が乗ってていつもドキドキしてた。
バレンタインに喫茶店に呼び出し、告白したけど振られた。
「電話してください」と、テレホンカード渡したけど一度も電話なかった・・・
あの時の彼、名前も忘れちゃったけど元気かな・・・

25: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 11:23
中学校のときに、クラスでモテモテだったIくんを
バレンタインの日に近所の歩道橋まで呼び出した。
家の電話(携帯なんぞない時代ですw)で、匿名できてくれるまで待ってます!って。

私の部屋から丸見えの歩道橋の上で、じっと待つIくん。
友達と5人で笑ってたけど、今思うとかわいそうだった・・・
Iくんは3時間も雪の中立ってた。
いまなら謝れる。ごめんね。
いまは結婚して子供3人もいるみたいだしお幸せに・・・・

26: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 13:10
昭和40年代なかば頃の話。
自分が幼稚園児だったころ、車のタイヤは今のラジアルじゃなくて「バイアス」構造がほとんどだったと思う。
炎天下など長い時間車を停めておくと路面との接地面が、平に変形してしまうことがあった。
走り出すと小さく「コトン、コトン」と振動が伝わって来る。父と笑いながらその振動を楽しんだことを思い出した。
決して裕福ではなかったけれど、楽しかった時代だったと思う。

27: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 13:10
↑性格悪そう。子供が同じ目にあうぞ。

28: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 13:16
>>27
タイミング悪すぎw

29: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 14:09
タイミングが本当に悪かったよ^^

30: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 14:36
26です。
一瞬「な〜んでえ〜ひどいよ〜」と思っちゃいました。私のタイミングが悪かったのかと…。
ま、これも掲示板の面白さかもしれないね。

31: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 14:40
昔、車に乗って家族で遠出するといつも助手席側のフロントがパンクして
みんなでタイヤ交換したなあ。

32: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 14:51
高校の頃、テレクラにかけてよく呼び出して笑ったの思い出したな
18年前だけどさ

33: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 17:56
26さんごめん^^
25の事でした。人の気持ちをもてあそぶサイテーな女に対してです。

34: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 18:43
10年前の話ですが、当時遠距離恋愛をしていた私に告白してくれた森町のあの方。
自分に好意を抱いている事が凄く伝わっていました。
しかし自分には遠距離で付き合っている彼がいたので何度もお断りしたのです。
が、近い方がいつか情が傾くと信じて疑わないあの方は友人として何度も遊びに誘ってくれました。
器用で無い私はそんな気持ちを勘付きながら友人として付き合う事も出来ず、こんりんざい会わないと心に決め遠距離の彼氏とは結婚の約束までしている等とウソをついた。
自分の方が幸せに出来るとまでおっしっゃてくれた・・・(今思うときっとそうだと思う)
まだ幼稚な私は、多分酷く傷つけないと諦めてくれないと思っていっぱい傷つく事を言った。
そうしたら泣いてしまった。
大人になってどんな理由であれ人の心に傷をつけるという事は大罪であると身を持って知る。
私の人生で心に引っ掛かっている事はただ1つ・・・森町のあの方に会って謝罪をしたい。

35: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 18:50
当時は真剣に好きで結婚したいとまで思ったカレ。
でもいろいろなことがあって、3年で別れたくなった。
別れると言い出してから、家の前に朝まで立たれたり、自宅の電話が鳴りっぱなしだったり
職場の出口にいたりで嫌になった。
もう死んでやる。これから薬を飲む。
本当に死んでくれとまで思った。
でも半年後、いやに若い子と北斗電気でVANのトレーナーでペアルックして買物してた。
なんだったのか。
今から19年前のお話。

36: 名前:あんころ投稿日:2005/10/07(金) 23:07
明日から3連休の人も多いんでしょうね。
自分は休みなしだから、やけくそで第3弾。

生家は松風町の隣町。今はもうないけど、電車道りに面した
大きな商店の、同級生の家に遊びに行った時の事。

東京オリンピックの翌年だったと思う。(古いなあ〜)

寿司やの息子と、自転車やの息子と自分。最初にサイダー
(コーラではなかったと思う。)が出て、しばらくすると、
レモンの添えられた紅茶とショートケーキがでてきた。あきらかに
自分と自転車やの同級生は初体験のものだった。
緊張しながら食べたけど、そのうまいのうまくないのって。
後日、話を聞いた母がホットケーキを作ってくれた。
似ても似つかぬ代物だった。

何年かたってから、家でもデコレーションケーキを年に一度
たべるようになった。
でもあのショートケーキの甘さは、今だに忘れられない。

37: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 23:18
いいはなしだ

38: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/07(金) 23:20
果たして今の日本は豊かになったのか、貧しくなったのか
どうなんだろうね?

39: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/08(土) 00:10
世の中、赤い糸で結ばれていると申しますが、
本当にそうなのかな〜

人生(少し大げさ)の転機は、受験、就職、結婚、・・多々
ありますが結婚って重大な事と思っていましたが、
自分の場合、結婚式の時、普段会わない親戚の父さん母さんが
ぞろぞろ集まって事の重大さに気がつきました。

でも、その時僕は幸せにする!と・・言った。
当時、家内の実家にプロポーズ?(赤面)に行った時は
お父さんに言った。
自分はサラリーマンです。職人でもなければ経営者でもない。
給料は安いので金銭的には苦労をかけるかもしれないけど、
精神面では苦労はかけません!と・・(よくいったもんだ)

現在両方の苦労をわずらっていると攻められていますが、
これも、運命・・七転び七起き・・平行線・・

ひとつ言いたい事かあります
不平不満を感じ生活しているのが人間の嵯峨かと・・・。
何でもないようなことが幸せだったとは・・・気がつかない。
気がついた時はすでに遅いとは、どうしてなのかな・・

でもそれを糧にプランを立てれるのも大切と自覚。
気がつかない事は当たり前。
だから面白いと思う!

40: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/08(土) 17:05
最後の段落がいまいちわからん

41: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/08(土) 17:18
>>40
ボーさんがその時間帯に書き込む時は酔ってる事が多いから大目に見てあげてくださーい。

42: 名前:あんころ投稿日:2005/10/08(土) 23:04
?フ話、その4。
いいかげん、嫌な人は無視してください。

生まれも育ちも函館なら、港祭りの頃(以前は7月初旬だった)、
大門にサーカス小屋が建ったのを憶えているよね。
その頃のお話。

近くの小学校に通っていた自分のクラスに、おかっぱ頭の大柄な
女の子が転校してきたことがあった。

年に一度だから、毎年一回は家中ひっくるめて、親父が夜店やら
サーカスにつれていってくれた。空中ブランコ、綱渡りの小屋や
大きな金網の中をグルグルまわるバイクの小屋。
でも、ひとつだけ、絶対見せてくれない小屋があった。
スピーカーからながれる、「さあ〜さっ、よってらっしゃいみてらっしゃい、
うまれも----」今じゃ、差別用語バリバリの、ちょっとだみ声のかけ声の小屋。
その小屋の前を通るのも恐かったのを憶えている。

祭りも終わったある日。小屋はたいがい跡形もなくなっていた。
友達と偶然その様子を見ていた時、犬やらタヌキやら熊(?)だったと思う、
大きなバケツでエサをやっている女の子を見た。
あの転校生だった。
こちらを振り返ることもなく、ひたすら同じ作業を連けていた。
見てはいけないものを見たような気がした。
それから間もなくして、学校へは来なくなった。

どうしているんだろう。
祭りのあと。

43: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/08(土) 23:24
次の祭りの土地へ転校

44: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/08(土) 23:35
未だに誰にも言ってないこと

小4の時、母と年の離れた妹と**デパートに行った。
買い物をしているうちに、私だけはぐれてしまった。

なんだか急に親に捨てられたような気がした。

妹は体が弱くていつも母がつきっきりだったから、
私のことはかわいがっていないんじゃないかと
不安に思っていた。そしてそれを口に出すことも
甘えることもなかった。

ほんの数分見失ってしまったので
気を取り直して自宅に一人で帰ることを
決意した。
そしてバスに乗って自分で帰った。

デパートの公衆電話から
自宅へ電話がかかってきた。

母からだった。
とにかく帰っていればいいと。

そしてすぐ母と妹は自宅にもどってきた
買い物もせずにあわてて帰ってきた。

私は全く叱られなかった。

別に親の愛情を試すつもりはなかった。
自分が居なければいいのかな?と子ども心に
寂しい気持ちだった。

今でも誰にも言っていないけど
母はもしかしたら気づいていたのかもしれない。
いつも妹に手がかかって、自分にあまり手をかけていなかったことを。

いまでも母とは仲良くやっていけるのは
その時のことが心のどこかに残っているからかもしれない。

45: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/08(土) 23:49
お金持ってたんだ。バス代。
よく一人で帰れたね

46: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/09(日) 03:58
>>45
小学4年なら帰れるだろ。
おれは小学校1年生からバス通学していた。

47: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/09(日) 09:15
>44
似たような経験がある。
年子の弟がいて、いつも「あんたはお兄ちゃんなんだから」と言われて
弟が親に庇われてる気がしてた。
小2のときにデパートでそれを言われ悲しくなって半べそかきながら一人で
じいちゃんの家まで走っていった。
そういうことが心の傷になってるのか今は弟とのつきあいは一切ない。

48: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/09(日) 13:51
>>42
小さい頃一度だけサーカスを観た記憶があり、場所はどこだったのかとずーっと気になってました。
大門だったのですね。やっと胸のつかえが取れました。

49: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/09(日) 17:29
>>18
昔、千代台公園にもサーカスきてましたよ!

50: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/09(日) 20:37
俺は、湯ノ川のスケート場(今のKO)で
サーカスを観た気がする?

51: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/09(日) 21:24
大門に来てたのは見世物小屋がメインだったような。
せいぜいバイクの曲芸くらいだった記憶が。
サーカスは千代台・慰霊堂・亀八辺りじゃなかったかな?
「キグレ大サーカス」な。

52: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/10(月) 00:14
※酔って書き込んでる事がバレバレでした。
  自分でもその時何を思い何を言いたかったのが不明です。
  下書きを昔からしない癖を許して下さい!

「お祭りは文化だ!の巻」
木古内のみそぎに気合を入れて挑戦しようと一度思ったけど
心臓麻痺の前に独身の参加資格と聞き、納得。

吉田拓郎の唄に「祭りの後の淋しさ・・」とかありますが
出店は楽しみな反面、悲哀もありました。
悪いことをするとサーカース小屋に売るぞ!とか大人は言う。
今はススキノの○○に売る!とかマグロ漁船に・・とか・・

外から見えそうで見えない見世物小屋では、蛇を食う女とか、
鶏を食う女とかスピーカーで、はやし立て
怖いもの見たさをあおる。
戦争で手足をなくした人?がハーモニカを吹いている。

やっぱり僕は金魚すくいが好かもしれない。
浴衣美人と・・・
でも昔は、たんものを1m、2mとか売っている人がいて
後で計ると絶対寸法が足りないとか、ひもを引くクジも一等は、まず引けない
とか、輪投げも台座が大きくて絶対台座まで入らないとか、
そこが良くも悪くも文化を感じる。

生きるための必要悪というか、
1+1=2じゃない世界をかいま見る事がある。
現在見世物小屋も、今は二軒くらないらしい。
今後も衰退するであろう文化だと感じる。
でも、抽選はデジタルじゃなく、ガラガラまわしてぽとり・・と
出る玉の色に一喜一憂するのが好きな自分・・。

53: 名前:SCSAマニア投稿日:2005/10/12(水) 19:56
初めてのプロレス観戦

僕は道東の小さな町の出身だ。
それでも小学校のころにプロレスが巡業できたことがある。
今は、年間120試合くらいで、北海道でも札幌・旭川・釧路・帯広くらい市か回らないけど、30年位前は200〜250試合くらいあって、人口1万人くらいの町でも3年に1回は回ったものだ。
また、今と違って会場も中学校や航行の体育館や大きな駐車場(学校のグラウンドだったり)でやってたものだ。
僕の時は、いい会場が見あたらなかったらしくボーリング場で試合をやっていた。
来たのは、ジャイアント馬場の全日本プロレスだった。
当時の大人気は、やはり猪木だったので「馬場か〜」と思いながらもTVでみる人たちが来るということだけでわくわくした。
試合の内容も、誰がいたかも覚えていないけど、ブッチャーだけは覚えている。
田舎の試合だけど、TVでみるぶっちゃーと同じだった。
流血もしてた。

ほかの試合は、いかにもな「手抜き」な試合だけど、ブッチャーだけは違った。

そんな、ブッチャーは今も試合をしている。
少し太って、少し動きも悪くなったけど・・・やっぱりブッチャーだ。でも、それ以上にずーっと怖い思いをしたのはブロディとT・J・シン。
特に、シンとは目を合わせるな、って言うけど、ホントあれは狂ってる。
クレイジーなおっさんだなや・・・

54: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/12(水) 21:34
15年前、初めて函館に来たときに「函館だなあ〜」と感じたのが
銀星サイダーと精養軒のパン。
いかにも地元のサイダー、地元のパンっていう趣があってよかった。

55: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/17(月) 23:15
>SCSAマニアさん
だから私もブッチャーは好きなのです。
僕も子供の頃、札幌の中島スポーツセンターで初めて
ナマで見た記憶があります。
当時はテレビの前にみんな集まって、いけ〜!とかチャンス〜!とか
声を上げてみんなで興奮して見ていたのを思い出します。
応援している方が勝つと見ているだけでスカッとしたもんです。

この間、某電気店に用事があり家族で入ったまではいいが
はぐれてしまった・・
あれあれ何のコーナー(売り場)をふらふらしているだ・・
買えもしない家電を物色しているわけじゃ・・・いやな予感的中

なんと全員マッサージチェアでくつろいでいました!
最近のはね・・とか興奮ぎみでしたが無視、無視、
本当は僕も欲しいけど、買わない、買えない、

昔、銭湯に10円入れると何分か動くアンマ機ってのがあって
子供ながらに、なんじゃこの椅子とおもったけれど
今の製品は欲しいかも・・でも心の中で「買ってはいけない」の
物なのです。そこに座る自分が嫌だ!と、つっぱりぎみです。

夫婦で肩をもみ合うのが理想かもしれませんが
なかなか素人ゆえ、難しいかも・・です。
JRのフルムーン有資格者に気付きショックを覚えましたが
体の衰えは隠せないと日々雑感・・・。
でも、鍛える(体を動かす)ことが先決という信念なのです・・・

56: 名前:あんころ投稿日:2005/10/19(水) 20:35
MBジャングさん、はじめまして
また、スレよごしてしまいます。

実家の3軒隣に、当時有名な電気屋さんの住まいがありました。
そこの息子?さんが、エレキギターを持っていて、見るのもはじめてな
アンプとスピーカーの、その大きな音量に、自分もふくめて近所のガキ達は
ただただ、ぼう然とするばかりでした。下から数えたほうがはやい歳の自分には
触らせてもくれなかったものです。

中学生になって、ゲルマニウム(だったとおもいます)ラジオを作るのが流行った
ことがあります。既製のラジオがあるのに、自分の作ったラジオで深夜放送を
(その頃は3時で終わってたかな。)聴いてたりしてました。

ギターが欲しいと父に言うと、不良になるのかって、めんたま、ひんむかれる程
怒鳴られたのを憶えています。

今、少し余裕ができて、ギターをさわっています。
アコギとエレキ、ささやかな自分の時間です。

57: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/20(木) 23:28
あんころさん
私は、ここを仕切っているつもりはありませんので、
思っている事を自由に書き込んで下さい!

実は自分で後悔していることがあります。
僕は高校の修学旅行に行っていない。なぜか・・
アルバイトで貯めたお金と、修学旅行用に高校に積み立てた
お金で、アコースティックギターを買ってしまった。

そして、もくもくと練習した。ポールサイモンにあこがれ、その後
ジョンレンバーン、バードヤンシュをコピーした。
(湯川れいこ の評論のまま)
石川鷹彦のHawtoguitarや、カントリー&ラグタイム、
そして、クロスビーナッシュ&ヤングのようなアメリカンフォークロック
へと続く・・・。引越しのだびに、あまり弾かないギターだけ
自分で運ぶ・・家族の次に大切な物かもしれない・・・。

イェスタディを昔すらすら弾けたのに今は弾けない・・・
明星や平凡の付録に付いてきたソングブックで
コードを弾いて満足するレベルに逆戻り・・
仕事で余裕が無くなるとすべてに余裕が無くなる現状に反省。

58: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/22(土) 19:16
そういえば、僕の姉の息子が就職した。
僕は姉と、年が離れていて、けんかをした記憶もない。
学生の時、服を買ってもらったり姉には世話になった。

姉の息子が小学生の時、僕は社会人だった。
おい!プレゼント何欲しい?
おじさん!ミニヨーク!・・はぁ?
僕は、おもちゃ屋でミニヨークありますか?
店員・・・・あぁミニ四駆ですね!

姉貴のガキにミニ四駆を買い、自分用に知恵と財力をつぎ込み
最強マシン完成!ふふふ
後日、おじさんのミニ四駆欲しいって・・
ヤダヨー!(意地悪おじさん)

実は、子供にかっこつけて
楽しんでいる僕が居た。大人気ない・・・
そのガキが就職して、車買って、彼女いて、、、、
おじさん元気?って、、うれしいやら悲しいやら、、

最強のミニ四駆を、あげる!って、嘘ついてごめんね!
って言ったら、
そんな事あったっけ!?おじさんも仕事がんばってね!って
はげまされている始末・・・・・

おまえ、この車飽きたらおじさんにちょうだい!とか
完全に体制逆転の巻き・・・。

最後に、かわいい彼女の友達も連れて、おじさんの家に
遊びに来い!とかコビうっている始末・・・ドボン・・・。
(えろじじいいとつにゅう)

59: 名前:のんべ投稿日:2005/10/23(日) 03:16
えろじじい突入レポートを期待してます。

それでは「カップル調査」について。
10年ほど前の土曜日の夕方、一緒にいた友人達の一人がみんなで
「カップル調査にいかない?」と言い出した。
友人達は「うん」「いいよ」等と返事をする。
おいらが「どこ?」と聞くと「新しく出来たホテル」。
他の友人達にも電話で「みんなでカップル調査いかない?」と誘って
男女8人が集まった。(おまいら変だと思うおいら)
ホテルの駐車場に車を止め階段を上って2階に行くと、そこには・・・
「カプリチョーザ」と書かれたイタリアレストランがあった(恥

60: 名前:Hishiki@お邪魔しますよ投稿日:2005/10/24(月) 22:36
今、稼動させてるスレに「ちびくろサンボが復活してた」って
すごく良いレスが付いてたんだけど、絵本を語ると脱線しまくりしそうなんで
ボーさん、お邪魔させてください(汗

小さい頃、クリスマスだったかお年玉代わりだったか思い出せないけど
親戚のお姉ちゃんから絵本を貰った。

「どろんこハリー」 元は白い犬なんだけどお風呂が嫌いで、ある日
家を抜け出して汚れそうな場所ばかりで遊びまくって帰ったら家人が
気づいてくれなくて必死に「お風呂入れて!」と頼み込むワンコの話w
(物凄く乱暴なアラスジですが)

もう1冊は忘れたしスグにどこかへ行っちゃったけど「ハリー」だけは
ず〜〜っと大事にしてた。

でもやっぱり、そんな日々は忘れてしまって・・・。子供が本に興味を
持つようになり好きな本を買い与えようと、絵本コーナーに行ってまた
「ハリー」に出会った。

ちょっとクスんだ色合いそのままに。

やっぱり、子供も「ハリー」が一番のお気に入りになった。


もう少し年齢が上がったら「なが靴下のピッピ」を。一丁前なクチを
聞くようになったら「赤毛のアン」シリーズを。(そしてダイアナが成人後
デブる話を見てショックを受けるw)

母が受けた感動を子はどう受けるのか、楽しみでもあり、不安でもあり。

61: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/24(月) 23:34
子供が生まれた頃、まずはディックブルーナやノンタンから入り
福音館あたりの絵本をたくさん買いました。
しかし、子供が興味を持つものは、以外なところにあり、
木(樹木)同士がしゃべる一場面だったり不思議です。

昔びっくりしたのが、さわる絵本
毛や皮や、つるつる、ざらざら、・・・
飛び出す絵本より、大人がびっくりした。
でも、訴えるものが無いのか、いずれ飽きる。

おかあさんといっしょ は計算された番組だ。
とにかく子供をひきつける・・
でもそれ以上に絵本は大人と子供を同時にひきつける。
ひとそれぞれの想像が加味される。
なにか心にひっかかるものはきっと
母親のDNAで、きっと子供が受け継ぐのでしょうね!
でも、お気に入りの場面が微妙に違っていたりしてね・・・。

高校生の時、友達から借りたビニ本が、ナイ!と思いきや
親の部屋にあった事を思い出した。DNAか・・・・。

62: 名前:あんころ投稿日:2005/10/26(水) 20:44
青函連絡船の思い出。

自分の母は、青森と岩手の県ざかいの田舎まち(村)から函館に嫁に来た。
4人の子をもうけ、父の仕事をささえていた。
青森の祖父が病いに倒れた時、おそらく、まだ手がかっかていた末っ子の
自分だけを連れて、母が看病に里帰りしたことがあった。
(小学校にあがる前の歳だから記憶はまばらです。)

一月ほどたって、祖父が亡くなり、夏の日盛りのなか、葬儀だったのか、
南部の山なみの道を歩いていたことを憶えている。

おくれて葬儀にやってきた父に飛びついて離れなかったと
自分はあとで何回も聞かされた。
父と母との帰りの青函連絡船は、それはもう、楽しい思い出としか
自分の記憶にはない。

高校の修学旅行はもちろん、帰省の時も何回か乗ったけれど
その後は空の旅になった。
あのドラのジャンの音、よかったね〜。

63: 名前:モンキー投稿日:2005/10/28(金) 17:30
中学生の頃友人とエロ本を買いに十字街の本屋まで一時間歩いた。
よくあんなエネルギーがあったものだと思う。
その本屋も今は焼けて無い。

また、よくレコードを買った東光、三矢、北海屋。
みんな無くなるなんて当時は想像もしなかったなあ。

64: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/28(金) 18:06
東光を知ってるとはなかなかですね^^

65: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/28(金) 18:44
>>モンキー
ラッ○ー書店ですねー

66: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/28(金) 19:24
連絡船で思い出した!
学校祭で連絡船貸切でやった西高生です
中でライブとかやったけど船酔いするやつ続発だったなぁ

67: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/28(金) 20:45
駒場にもあった、ラッキー書店。
その向かいには深堀書店。

68: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/29(土) 16:23
私が社会人になったころはまだ週休二日制というものは存在しなかった。
そのかわり土曜日は午前中で勤務が終わる「半ドン」なるものがあった。
小さいときから土曜は父が昼過ぎに家に帰ってくるのが普通だったので割と違和感は無かった。
午前中事務整理などをこなし昼のチャイムが鳴ると会社の同僚とゆったりとした昼食をとり、
会社に戻るとそれから三々五々解散するというような按配であった。
会社の駐車場で営業車を洗う社員がいたり社内の仲間で銀座へ映画を見に行く人などもいた。
彼女の会社も半ドンだったので午後2時や3時に待ち合わせをしたものだ。
休日にワザワザ家からでかけるのとはまた少し違った時間の流れ方であった。
広辞苑によると半ドンとは半ドンタクの略で、ドンタクはオランダ語の zondag、
つまり日曜日、 転じて休日の意味だそうだ。そのまんまの意味である。

とてもいい時代だった。

69: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/29(土) 16:35
>>68
マンガの「三丁目の夕日」に出てくるような、
ほのぼのとしたイイ話ですね。

70: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/29(土) 16:58
>>69
そこまで古い話でもありません。20数年前のことです。
そろそろ週休二日制が一般的になり始めた頃と記憶しています。
戦前は地域によっては午後12時を大砲で知らせる慣わしもあったそうで
そちらは半ドンならぬ「ドン」と呼ばれ都民市民に親しまれていたそうです。

71: 名前:モンキー投稿日:2005/10/29(土) 17:19
学校から帰ってきたら「ダイヤルリクエスト」を聴き、気に入った曲をメモして
レコード屋に走っていったものだ。
あの頃よくお世話になった東光のおやじさん元気でいるかなあ。
30年以上前の話。

72: 名前:スカイラインジャパン投稿日:2005/10/29(土) 18:47
うちの会社も土曜は半ドンだった
正午にチャイムがなって近くの食堂でご飯たべて自慢の愛車をガソリン満タンして洗車ワックスで磨き上げてた
夜ご飯とシャワーを家で浴びて、リーゼント決めて街に繰り出したなぁ
目的地は松風町DISCO City

73: 名前:とらのすけ投稿日:2005/10/29(土) 19:19
毎週土曜日は松風街〜函館駅迄バイクのステップを立てて火花を散らしながら
走ったもんだ。そのあとは地球艦隊がお決まりのパターンだった。

74: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/29(土) 20:12
地球艦隊 ・・・・・  懐かしすぎる

75: 名前:68投稿日:2005/10/29(土) 20:29
皆さん同世代ですね。うれしいです。

76: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/10/29(土) 20:52
地球艦隊って何?

77: 名前:ジャパン投稿日:2005/10/29(土) 21:45
艦隊はディスコだよクラブとは違うよ
もっと神聖で楽しくて幸せな空間だよ
シティ、ミルキーウェイ、ギゼ、サンセットたくさんあったなぁ

78: 名前:MBジャングル投稿日:2005/10/29(土) 21:45
地球艦隊って何でしょう?バルチックじゃなく宇宙戦艦でしょうか・・

精神的余裕が、無い昨今、背中が丸まってきます。
お金が無くても飲みに行った時代、お金が無いから飲みに行かない時代。
それは人それぞれです。
古きよき時代を懐かしんでも、なんら解決しません。
老人の昔話を語っても前進しない昨今、
大切なものは、何でしょうか?

私も半ドンが懐かしく大好きです。
普段は残業漬けなのに、何故か昼に、三々五々解散!
マージャンする人、帰宅部、デート部、通常業務部、
通常業務部ふりこき深夜残業豪遊部、

昔、いつもツケで飲んでる店が、無くなっていた!
僕は申し訳ない気分とラッキー!な気分と半々、
そうしたら、向かいの店から、いらっしゃあしゃ〜いの声!
向かいに、移っていた。うれしいやら悲しいやら・・・・。

携帯が無い時代、今の奥さんの会社に電話するしかなかった。
今日デートしたい!飲みに行かない?
・・デートは昼間の事、飲みに行こう!はなんちゅうねん?
今日ナイトしない?ダサ

そして待ち合わせの時間に遅れる僕。
携帯も無くテレパシーでゴメン!
水割りは五杯が限度
待ち合わせは一時間限度な時代・・・一時間は薄い愛か・・・。

79: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/03(木) 00:33
その昔、銀座のクラブ↓へ行った
数年後、六本木のクラブ↑にも行った
両方になじめないおっさんは荒野を目指すの巻き

函館のディスコ等を知らないオッサンは
函館の古きよき時代を知らない・・悲しいかな・・・。

世の中、よく次元が違うよな!とか申しますが
まさしく次元が違う事に、出くわす事があります。
クラブ↓では、豪遊している殿方もいまして
マンションやポルシェ、フェラーリをプレゼントする
人もいれば、クラブ↑では、曲の継ぎ目にストーリーを感じ
DJのセンスとフィーリングに感心する場合があります。

どちらにせよ、飲むことに生きがいがある自分は、
本場のギネスビールが飲みたい!とか単純な発想です。
DJのヒストリーは、わかりません。
しんみりしたバーもいいけど、
がやがやした雰囲気のバーも好きです。

何が言いたいかと申しますと、
情報過多の昨今、そうではない空間から学ぶべき事が
多々あるのではないか?
僕が最先端の発想で仕事をしている気分でも
実はお釈迦様の手のひらの次元で、
もっともっと昔にすでに試みた事例ってたくさんあります。

温故知新・・今までと違う手法が、変化する社会事情にマッチしてゆく。
それこそが次世代のやり方

80: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/03(木) 08:58
すみません。支離滅裂な文章ですね〜。

なにが言いたいかと申しますと、
自分は情報に振り回され、
最近、何一つ進歩してないなぁ〜です。
過去を軽視し、勉強しなくなったというか・・・・。

漬物を造るシーズンですが、
あんまり食べないくせに、手作り漬物大好き!なのです。

81: 名前:モンキー投稿日:2005/11/07(月) 16:09
ディスコが全盛の時代って70年代中頃だろうか。
あれは75年頃の夏のある日グリーンプラザに黒人のDJが来てディスコ大会を
催した事があった。 中央の広場で踊っているのは外人だけで、それを遠巻きに
見物してるシャイな日本人(自分もふくめて)…。
ディスコブームと言っても所詮は暗い箱の中でしか踊る事ができない日本人。
やはりその後ブームは去りディスコはだんだんと姿を消していった。

木古内にあった「デスコ」はまだあるのだろうか。やけに気になる。

82: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/08(火) 00:33
僕は70年代中盤にディスコに行った。
当時、サタディーナイト・・・以前でソウルフルな曲で皆同じステップを
踏んでいた。ビョルン&ベニー(アバの前身)やマミーブルーなんかも
流行っていた。それから数年後ブレイクダンスが流行した。

車から流れるノーランズなんかも実に爽快だった。
それからチェッカーズがデビューするも、自分はベイシティーローラーズ
の再来か・・・古くはエジソンライトハウスのような一種
軽い乗りが、どうもしっくりいかないものを感じていた。

それ以前にウッドストックに衝撃を受け泥沼に入る・・
でも、爆音のデスコでコザックダンスでウケタこともあった!
「月曜日に市場へ出かけ〜」・・なんじゃそれ・・・

社会人になり、若者に、お願いだからジュリアナに連れて行って!
とお願いしたら、帰ってきた返事が
「補導員に間違えられるからよしなさいって・・」ドテッ・・・・。

ただスカートの下を一回だけでいいから・・・・・・

函館で中年友の会デスコうさばらしデイケア日本酒チケット付
って店ないのかな〜と日々雑感。
そんな気力もないけど、スナックで演歌をシミジミ歌うよりは
楽しいと感じる・・・・。

83: 名前:モンキー投稿日:2005/11/08(火) 15:50
ディスコもなくなったがジャズ喫茶もなくなったね。
エアリー、トップオブザゲイトetc。でかいスピーカーを前にしてコーヒーを静かに飲む
などという過ごし方は流行らんのだろうな。 本町にはロック喫茶もあった。
狭い階段を昇ると更に狭い店内。床がぎしぎし鳴って乱暴に歩くとレコードの針が
飛びそうだったっけ。

今はPCで家にいながら音楽を手に入れられる時代。
文明の発達で文化がどんどんなくなっていく。

84: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/11/08(火) 18:04
>>83
それは違う!断じて違う!文化がなくなっているのではなく、変化してるだけ。
たとえば明治のころは詩や小説の同人をするのが文化としてあった。
今でもあるにはあるが以前ほど盛んではない、別の文化に移行しただけ。
ネットの発達で、出会い系やオフ会という文化が生まれたと言う事実もある。

85: 名前:モンキー投稿日:2005/11/08(火) 20:52
文化の捉え方は人それぞれなのだからそこに噛みつかんでくれたまえ。

例えば変化した文化は以前の文化と違うわけで、なくなったと捉えるのは当たり前の
感覚ではないかと思うが。

86: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/11/08(火) 21:02
ソウル・ドラキュラ ハッ ハッ ハッ 恥ずかしい曲

87: 名前:とらのすけ投稿日:2005/11/08(火) 21:35
カフェ・カフェ・カフェ・カフェ・カフェ・カフェ♪ by D・Dサウンド

88: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/11/08(火) 21:59
ペパミーン〜ペパミーン〜ペパニ−ンジャック〜♪

89: 名前:80s投稿日:2005/11/08(火) 22:20
フ・フ・フゥ〜♪
ブレイク
ミ〜
イントゥ
リトルピ〜シズ♪

90: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/11/08(火) 22:44
自分の家のお風呂は石炭で沸かすタイプだった。
白樺の皮を干したものを炊きつけにして石炭に火をつけるのだ。
お風呂に入るのにとても時間がかかっていた。
しかも一度火が点くと勢いが止まらないので熱湯になるのだ。
だからどんどんと水を入れることで調整するのだ。
今思えばとてももったいない事をしていたものだ。

91: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/11(金) 23:32
>90さん
確かに水は、もたいないけど、火力調節?と
次々家族が入ることによって経済的のような・・と思う(w
でも次の日石炭のアク(灰)を捨てるのも、面倒だったよな〜。
>84さん
おっしゃる通り文化とは常に変化してゆくものですね!
遺産や工芸や伝統という意味じゃなく、文化は
一種時代を反映していますからね!

僕にとって文化とは、ここでは、そこまで大げさな事じゃなくて
少し昔の風習ってスタンスなのです。たとえば、
そんなことは知らなくて良い事・・かもしれないけど
知ってて損はしない。本物を見極める眼って
そうゆう、ちょっとした経験や勘が、頼りかな・・みたいな。仕事で失敗(トラブル)する時って、意外と想定外が多く(当たり前か・・)
自分は、なんて素人なんだろうと思う。
だから日々勉強や努力が必要なんだと思う。

92: 名前:投稿日:2005/11/12(土) 19:52
てすと

93: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/14(月) 23:28
今日は、安いワインを飲んでいる。
ワインを飲むと思い出すのが鉄道員という映画だ。
(ぽっぽやじゃないよ)
1950年代のイタリアの映画だ。
主人公が樽から、注ぐワインを思い出すのだ。

フランス文学?で「樽」というクロフツ作の推理小説がある。
樽のなかから死体が発見されるという所から始まる。
いかにもフランスらしい小説だ。

ワインって料理と一緒に楽しむイメージだけど
自分の場合、西部劇のバーボンじゃないが
がぶ飲み(水代わり)も有り!と思う・・・。下品??

そういえば昔、ビール瓶は5円、コーラの瓶10円とか・・
私んち瓶物出ますが、今は瓶に値段がつかないのね〜。
別にキャッシュバック無くても飲んでますけど・・・

以前、鹿児島の人が、回し飲みをしていてびっくりしたけど
仲間!という意味で回し飲みする風習がある。
僕は同輩から回されたけど、それはそれで満足していた。
小雪のような人から回されたかったけど・・・・・。

94: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/16(水) 22:52
超若者に刺激を受けたの段。

大学の恩師から電話が入った。
ジャングル君、ゼミの後輩に社会や業界のガイダンスをしてくれないか?
僕は日時を確認し、こころ良くOKした。

学生は、結構真剣?だった。僕は開口一番、君たちの親でもないし、
会社の上司でもないし、たんなるOBだから気楽に話そう!

僕は、現在の立場や、社会の仕組みや傾向、学生が何をすべきか、
大切な行動とは何かを具体的に話した。
学生の一人が、質問してきた・・飲みにけーしょんは必要ですか?
僕は一瞬言葉につまった。
はやらない手法かもしれないけど自分は好きだと答えた。
ジャングルさんは何を勉強したのですか?
勉強しない分、余裕と無駄の重要性を勉強し、後悔することも勉強したよ!
そして恩師に教わったとおり、
何を勉強した、これを勉強した、ではなく将来なにを勉強するかを
決めることが重要だ!とえらそうに締めくくった。

次の日メールが来て追い出しコンパに来ませんか?って
うれしいやら悲しいやら・・
仕事の都合と、家庭の事情で欠席した。
さすがに、ついてゆけないよ・・大塚アイとネネを混同してるようじゃ・・・。

95: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/20(日) 16:39
僕は自動車が好きです。
走り屋とか、という意味じゃなくて車は社会や文化を反映しているし
お国柄も映し出す。また技術の進歩が興味深い。

初めてアルバイトで貯めたお金で軽自動車を買った。
新車で忘れもしない48万円
時代は550CCで4サイクルエンジン!
タイヤは10インチ(チューブタイヤ)
シートはビニール(夏場は背中あせもに注意)
屋根は鉄板一枚(雨が降るとラジオの音量を上げなきゃってくらいうるさい)
バッテリーはマヨネーズのキャップが並び(かわいい)
ラジオはシガーライターとセットでオプション(ズルッ)
アクセルを踏もうとすると、そこはタイヤハウス(アラッ)
リアは単版リーフリジットアクスル+イタバネ(以外と粘り足)
唯一の自慢はウォッシャー液が電動で出る!

でもそんなチープな自動車が好きだ。
すごくシンプルで挙動もわかりやすくダイレクト。
今の軽自動車は豪華すぎて面白さが無いと思うのは
自分だけだろうか・・・。

デートの時はピカピカに磨き、ラジカセの電池を交換し、
必死に車の流れについて行き、でも彼女が酔わないように
スムーズな変速と減速を心がけた。
そんな車が最近欲しくなってきた・・・・。

96: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/23(水) 19:34
寒くなってくると思い出すことがある。
幼年期の僕の写真で(白黒)冬使用の1枚だ。
なにせ、アノラック(死語らしい)とフランネルのズボン
毛糸の手袋姿である。

そのズボンは1年前の写真では、お袋のスカート
手袋は、竹針で編んだ手作りだがツートンカラーで
どう見ても途中で毛糸が足りなくなった柄である。
貧しくも、ほのぼのとした写真だ。

必ずっていいほど前髪はきっちりハサミが入っていて
みんなシェー(おそ松君のイヤミのまね?)をしている。
バックの公園のベンチには森永ハイクラウンとか、書いてあり
自分は元祖エッグチョコやマーブルチョコとか持ってご満悦である。
百一匹ワンちゃんのリュックなど、当時かなり
無理して買ったであろう物も写っている。

話を聞くと当時月賦で始めてカメラを買い
夢中で撮った写真との事。

最近ちゃんとした写真が無いので、こんど写真館に出向き
家族のまじめな顔の写真でも撮ってくるのもいいかなと雑感・・。

97: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/11/24(木) 14:37
アノラック、マーブルチョコ、懐かしいひびきです。

写真は撮りすぎて悪いという事は無けども、あの時に撮っておけばと
後悔する事多くありです。
今は携帯やデジカメで気軽に撮れますが、マニュアル式の一眼レフで
ピントや露出を気にしながら写真を撮るのもまた楽しいもの…。

98: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/11/24(木) 16:47
アポロチョコとエビ煎餅も仲間に入れてクダサイ。

99: 名前:MBジャングル投稿日:2005/11/24(木) 22:03
アポロチョコとエビせんは、十分仲間ですよ!

>97さん
デジカメの悪いところは、プリントまでワクワクしない所かもね!
プリントする必要ない場合は最強機械だと思う。

マニュアル一眼レフは、なにせ、すべてがわからんのだ・・・
プリントして初めて微笑んだりするのがグット!
昔、篠山紀信や、アラーキーが、アップの写真撮りたければ
自分が近づけばよい!その距離感が緊張感につながると・・
確かに安易にズームを使うのは、ダメかもね!

くっきり現実を写すにはデジカメの技術はすごいね!
子供の、鼓動が聞こえるような瞬間はフィルムに軍配かな・・・。

100: 名前:へろへろ名無しさん投稿日:2005/11/28(月) 16:52
小学校の4年生くらいだったかな、スーパーカーがブームになった頃。
友達が近所の大金持ち宅の車庫にリアウイング付きのポルシェを発見したんだわさ。
木の扉(観音開き)の隙間から自分が大好きだった憧れのポルシェが目の前に見えるのさ。しかも暗くて良く見えない。見えそうで見えない…ものすごくワクワクして友達と大コーフンしたのを覚えてる。
そしたら間もなく恐ーいおじさんがやって来て、「ゴラァー!オメエら何やってんだぁ!」と怒鳴り散らして来やがった。ボクらはひたすら「ごめんなさーい、ごめんなさーい!」と謝ってたら、ぬぁ〜んと、そのおじさん、ボクらの気持ちを察してくれたのか、もともと優しいおじさんだったのか、ちょっとだけ乗せて走ってくれました。
中に乗ってさらに感動したね。紅い針のカッコいいメーターが並んでいるパネル。やたら狭くて深いリアシートに座ったことが今でも忘れられない。エンジンの音と振動が背中に伝わってきて、またまた大コーフン!
普段、父親のサニーにしか乗ったことがなかったから、それは確かに異次元の世界。しばらくコーフンが収まらなかったね〜。
加速する時にほっぺたが後ろに引っ張られる感覚ってのを、初めて経験し絶頂を味わった小学生は、今ではCVT車でマターリとしたドライブを楽しんでます。とてもポルシェだなんて買えませんからねぇ〜。
(T_T)


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